・二五三九)の「否をかも」と同じである。古樸《こぼく》な民謡風のもので、二つの聯想《れんそう》も寧《むし》ろ原始的である。それに、「降れる」というところを「降らる」と訛《なま》り、「乾せる」というところを「乾さる」と訛り、「かも」という助詞を三つも繰返して調子を取り、流動性進行性の声調を形成しているので、一種の快感を以て労働と共にうたうことも出来る性質のものである。「かなしき」は、心の切《せつ》に動く場合に用い、此処では可哀《かあ》いくて為方《しかた》のないという程に用いている。「児ろ」の「ろ」は親しんでつけた接尾辞で、複数をあらわしてはいない。この歌はなかなか愛すべきもので、東歌の中でもすぐれて居る。
 ニヌは原文「爾努」で旧訓ニノ。仙覚抄でニヌと訓《よ》み、考《こう》でニヌと訓んだ。布《ぬの》の事だが、古鈔本中、「爾《ニ》」が「企《キ》」になっているもの(類聚古集《るいじゅうこしゅう》)があるから、そうすれば、キヌと訓むことになる。即ち衣《きぬ》となるのである。

           ○

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信濃《しなぬ》なる須賀《すが》の荒野《あらの》にほととぎす鳴《な》く声《こゑ》きけば時《とき》過《す》ぎにけり 〔巻十四・三三五二〕 東歌
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「すがの荒野」を地名とすると、和名鈔《わみょうしょう》の筑摩郡|苧賀《ソガ》郷で、梓《あずさ》川と楢井《ならい》川との間の曠野《こうや》だとする説(地名辞書)が有力だが、他にも説があって一定しない。元は普通名詞即ち菅の生えて居る荒野という意味から来た土地の名だろうから、此処は信濃の一地名とぼんやり考えても味うことが出来る。一首の意は、信濃の国の須賀の荒野に、霍公鳥《ほととぎす》の鳴く声を聞くと、もう時季が過ぎて夏になった、というのである。霍公鳥の鳴く頃になったという詠歎《えいたん》で、この季節の移動を詠歎する歌は集中に多いが、この歌は民謡風なものだから、何か相聞的な感じが背景にひそまっているだろう。「秋萩の下葉の黄葉《もみぢ》花につぐ時過ぎ行かば後《のち》恋ひむかも」(巻十・二二〇九)、次に評釈する、「このくれの時移りなば」(巻十四・三三五五)、「わたつみの沖つ繩海苔《なはのり》来る時と妹が待つらむ月は経につつ」(巻十五・三六六三)、「恋ひ死なば恋ひも死ねとやほととぎす物|思《も》ふ時に
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