で、万葉歌人の写生力・観入態度の雋敏《しゅんびん》に驚かざることを得ない。

           ○

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朝柏《あさがしは》閏《うる》八河辺《はかはべ》の小竹《しぬ》の芽《め》のしぬびて宿《ぬ》れば夢《いめ》に見えけり 〔巻十一・二七五四〕 作者不詳
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 此歌は「しぬびて宿《ぬ》れば夢《いめ》に見えけり」だけが意味内容で、その上は序詞である。やはり此巻に、「秋柏|潤和川辺《うるわかはべ》のしぬのめの人に偲《しぬ》べば君に堪《た》へなく」(巻十一・二四七八)というのがある。この「君に堪へなく」という句はなかなか佳句であるから、二つとも書いて置く。このあたりの歌は、序詞を顧慮しつつ味う性質のもので、取りたてて秀歌というほどのものではない。

           ○

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あしひきの山沢《やまさは》回具《ゑぐ》を採《つ》みに行かむ日だにも逢はむ母は責むとも 〔巻十一・二七六〇〕 作者不詳
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 山沢に生《は》えている回具《えぐ》を採《つ》みにゆく日なりと都合してあなたにお逢いしましょう。母に叱《しか》られても、というので、当時も母が娘をいろいろ監視していたことが分かる。結句の、「母は責むとも」は、前にあった、「母に障らば」などと同じ気持である。新考で、「逢はせ」と訓み、新訓で其《それ》に従ったが、そうすると、男の方で女にむかっていうことになる。「逢ってください」となるが、少し智的になるだろう。新考のアハセ説は、第四句の「相将」が、古鈔本中(嘉・類)に、「相為」になっているためであった。

           ○

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蘆垣《あしがき》の中《なか》の似児草《にこぐさ》莞爾《にこよか》に我《われ》と笑《ゑ》まして人《ひと》に知《し》らゆな 〔巻十一・二七六二〕 作者不詳
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「似児草《にこぐさ》」は箱根草、箱根|歯朶《しだ》という説が有力である。「に」の音で「にこよか」(莞爾)に続けて序詞とした。「我と笑まして」は吾と顔合せてにこにこして、吾と共ににこにこしての意。一首の意は、わたしと御一しょにこうしてにこにこしておいでになるところを、人に知られたくないのです、というので、身体的に直接な珍らしい歌である。此は民謡風な読人不知《よみびとしらず》
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