の歌だが、後に大伴坂上郎女《おおとものさかのうえのいらつめ》が此歌を模倣して、「青山を横ぎる雲のいちじろく吾と笑《ゑ》まして人に知らゆな」(巻四・六八八)という歌を作った。これも面白いが、巻十一の歌ほど身体的で無いところに差違があるから、どちらがよいか鑑別せねばならない。

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道のべのいつしば原《はら》のいつもいつも人の許さむことをし待《ま》たむ 〔巻十一・二七七〇〕 作者不詳
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 この歌は、「人の許《ゆる》さむことをし待たむ」というのが好いので選んだ。男が女の許すのを待つ、気長に待つ気持の歌で、こういう心情もまた女に対する恋の一表現である。この巻の、「梓弓《あづさゆみ》引きてゆるさずあらませばかかる恋にはあはざらましを」(巻十一・二五〇五)は、女の歌で、やはり身を寄せたことを「許す」と云っている。なお、巻十二(三一八二)に、「白妙の袖の別《わかれ》は惜しけども思ひ乱れて赦《ゆる》しつるかも」というのがある。この、「赦す」は稍《やや》趣《おもむき》が違うが、つまりは同じことに帰着するのである。

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神南備《かむなび》の浅小竹原《あさしぬはら》のうるはしみ妾《わ》が思《も》ふ君《きみ》が声《こゑ》の著《しる》けく 〔巻十一・二七七四〕 作者不詳
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 一首の、「神南備の浅小竹原《あさしぬはら》のうるはしみ」は下の「うるはしみ」に続いて序詞となった。併《しか》し現今も飛鳥《あすか》の雷岳《いかずちのおか》あたり、飛鳥川沿岸に小竹林があるが、そのころも小竹林は繁《しげ》って立派であったに相違ない。当時の人(この歌の作者は女性の趣)はそれを観察していて、「うるはし」に続けたのは、詩的力量として観察しても驚くべく鋭敏で、特に「浅小竹原」と云ったのもこまかい観察である。もっとも、この語は古事記にも、「阿佐士怒波良《アサジヌハラ》」とある。併しそれよりも感心するのは、一首の中味である、「妾《わ》が思ふ君が声の著《しる》けく」という句である。自分の恋しくおもう男、即ち夫《おっと》の声が人なかにあってもはっきり聞こえてなつかしいというので、何でもないようだが短歌のような短い抒情詩の中に、こう自由にこの気持を詠み込むということはむつかしい事な
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