て来て床までも沾れた趣である。そこで結句が導かれるわけで、つまりは、「身に副へ我妹」が一首の主眼となるのである。上の句などは大体の意味を心中に浮べて居れば好いので、小説風に種々解釈する必要はなかろうとおもう。民謡的で、労働に携わりながらうたうことも出来る歌である。

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潮《しほ》満《み》てば水沫《みなわ》に浮《うか》ぶ細砂《まなご》にも吾《われ》は生《い》けるか恋《こ》ひは死《し》なずて 〔巻十一・二七三四〕 作者不詳
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 海の潮が満ちて来ると、水《みず》の沫《あわ》に浮んでいる細《こま》かい砂の如くに、恋死《こいじに》もせずに果敢《はか》なくも生きているのか、というので、物に寄せた歌だから細砂のことなどを持って来たものだろうとおもうが、この点はひどく私の心をひいている。近代の象徴詩などというと雖《いえども》、かくの如くに自然に行かぬものが多い。「細砂《まなご》にも」をば、細砂《まなご》にも自分の命を托して果敢無《はかな》くも生きていると解するともっと近代的になる。真淵は「み沫《ナワ》の如く浮ぶまさごといひて、我|生《イキ》もやらず死もはてず、浮きてたゞよふこゝろをたとへたり」(考)といっている。
 この第四句は、原文「吾者生鹿」で、旧訓ワレハナリシカ、代匠記ワレハナレルカ。略解《りゃくげ》ワレハイケルカである。この句を旧訓に従って、ナリシカと訓み、解釈を「細砂になりたいものだ」とする説もある(新考)。いずれにしても、細砂の中に自分の命を托する意味で同一に帰着する。「解衣《ときぎぬ》の恋ひ乱れつつ浮沙《うきまなご》浮きても吾はありわたるかも」(巻十一・二五〇四)、「白細砂《しらまなご》三津の黄土《はにふ》の色にいでて云はなくのみぞ我が恋ふらくは」(同・二七二五)等の中には、「浮沙」、「白細砂」とあって、やはり砂のことを云っているし、なお、「八百日《やほか》ゆく浜の沙《まなご》も吾が恋に豈《あに》まさらじか奥《おき》つ島守」(巻四・五九六)、「玉津島磯の浦廻《うらみ》の真砂《まなご》にも染《にほ》ひて行かな妹が触《ふ》りけむ」(巻九・一七九九)、「相模路《さがむぢ》の淘綾《よろぎ》の浜の真砂《まなご》なす児等《こら》は愛《かな》しく思はるるかも」(巻十四・三三七二)等の例がある。皆相当によいもの
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