の「印南国原」は場処を示すので、大神の来られたのは、此処の印南国原であった、という意味になる。
一首に主格も省略し、結句に、「印南国原」とだけ云って、その結句に助詞も助動詞も無いものだが、それだけ散文的な通俗を脱却して、蒼古《そうこ》とも謂《い》うべき形態と響きとを持っているものである。長歌が蒼古|峻厳《しゅんげん》の特色を持っているが、この反歌もそれに優るとも劣ってはいない。この一首の単純にしてきびしい形態とその響とは、恐らくは婦女子等の鑑賞に堪えざるものであろう。一首の中に三つも固有名詞が入っていて、毫も不安をおぼえしめないのは衷心驚くべきである。後代にしてかかるところを稍《やや》悟入し得たものは歌人として平賀元義ぐらいであっただろう。「中大兄」は、考ナカツオホエ、古義ナカチオホエ、と訓んでいる。
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渡津海《わたつみ》の豊旗雲《とよはたぐも》に入日《いりひ》さし今夜《こよひ》の月夜《つくよ》清明《あきら》けくこそ 〔巻一・一五〕 天智天皇
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此歌は前の三山の歌の次にあるから、やはり中大兄の御歌(反歌)の一つに取れるが、左注に今案不[#レ]似[#二]反歌[#一]也とあるから編輯当時既に三山の歌とすることは疑われていたものであろう。併し三山の歌とせずに、同一作者が印南野海浜あたりで御作りになった叙景の歌と看做《みな》せば解釈が出来るのである。
大意。今、浜べに立って見わたすに、海上《かいじょう》に大きい旗のような雲があって、それに赤く夕日《ゆうひ》の光が差している。この様子では、多分|今夜《こんや》の月は明月《めいげつ》だろう。
結句の原文、「清明己曾」は旧訓スミアカクコソであったのを、真淵がアキラケクコソと訓んだ。そうすれば、アキラケクコソアラメという推量になるのである。山田博士の講義に、「下にアラメといふべきを略せるなり。かく係助詞にて止め、下を略するは一種の語格なり」と云ってある。「豊旗雲」は、「豊雲野神《とよくもぬのかみ》」、「豊葦原《とよあしはら》」、「豊秋津州《とよあきつしま》」、「豊御酒《とよみき》」、「豊祝《とよほぎ》」などと同じく「豊」に特色があり、古代日本語の優秀を示している一つである。以上のように解してこの歌を味えば、荘麗ともいうべき大きい自然と、それに参入した
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