伴家持の年代の明かな歌中、最も早期のもので、家持十六歳ぐらいの時だろうといわれている。「眉引《まよびき》」は眉墨を以て眉を画くことで、薬師寺所蔵の吉祥天女、或は正倉院御蔵の樹下美人などの眉の如き最も具体的な例である。書紀仲哀巻に、譬如[#二]美女之※[#「目+碌のつくり」、上−205−3][#一]、有[#二]向津国[#一]。※[#「目+碌のつくり」、上−205−3]、此云[#二]麻用弭枳《マヨビキ》[#一]。古事記中巻、応神天皇御製歌に、麻用賀岐許邇加岐多礼《マヨカキコニカキタレ》、和名鈔《わみょうしょう》容飾具に、黛、和名|万由須美《マユスミ》。集中の例は、「おもはぬに到らば妹が嬉しみと笑《ゑ》まむ眉引《まよびき》おもほゆるかも」(巻十一・二五四六)、「我妹子が笑まひ眉引《まよびき》面影にかかりてもとな思ほゆるかも」(巻十二・二九〇〇)等がある。
一首の意は、三日月を仰ぎ見ると、ただ一目見た美人の眉引のようである、というので、少年向きの美しい歌である。併し家持は少年にして斯く流暢《りゅうちょう》な歌調を実行し得たのであるから、歌が好きで、先輩の作や古歌の数々を勉強していたものであろう。この歌で、「一目見し」に家持は興味を持っている如くであるが、「一目見し人に恋ふらく天霧《あまぎ》らし零《ふ》り来る雪の消《け》ぬべく念ほゆ」(巻十・二三四〇)、「花ぐはし葦垣《あしがき》越《ご》しにただ一目相見し児ゆゑ千たび歎きつ」(巻十一・二五六五)等の例が若干ある。家持の歌は、斯く美しく、覚官的でもあるが、彼の歌には、なお、「なでしこが花見る毎に処女らが笑《ゑま》ひのにほひ思ほゆるかも」(巻十八・四一一四)、「秋風に靡《なび》く川びの柔草《にこぐさ》のにこよかにしも思ほゆるかも」(巻二十・四三〇九)の如き歌をも作っている。「笑《ゑま》ひのにほひ」は青年の体に即《つ》いた語でなかなか旨《うま》いところがある。併し此等の歌を以て、万葉最上級の歌と伍《ご》せしめるのはいかがとも思うが、万葉鑑賞にはこういう歌をもまた通過せねばならぬのである。
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御民《みたみ》われ生《い》ける験《しるし》あり天地《あめつち》の栄《さか》ゆる時《とき》に遇《あ》へらく念《おも》へば 〔巻六・九九六〕 海犬養岡麿
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天平《てんぴょ
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