すべきである。この歌の「絹綿」は原文「※[#「糸+包」、上−188−1]綿」で、真綿の意であろうが、当時筑紫の真綿の珍重されたこと、また名産地であったことは沙弥満誓の歌のところで既に云ったとおりである。
 憶良は娑婆界の貧・老・病の事を好んで歌って居り、どうしても憶良自身の体験のようであるが、筑前国司であった憶良が実際斯くの如く赤貧困窮であったか否か、自分には能く分からないが、自殺を強いられるほどそんなに貧窮ではなかったものと想像する。そして彼は彼の当時教えられた大陸の思想を、周辺の現実に引き移して、如上《じょじょう》の数々の歌を詠出したものとも想像している。

           ○

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稚《わか》ければ道行《みちゆ》き知《し》らじ幣《まひ》はせむ黄泉《したべ》の使《つかひ》負《お》ひて通《とほ》らせ 〔巻五・九〇五〕 山上憶良
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「男子《をのこ》名は古日《ふるひ》を恋ふる歌」の短歌である。左注に此歌の作者が不明だが、歌柄から見て憶良だろうと云って居る。古日《ふるひ》という童子の死んだ時弔った歌であろう。そして憶良を作者と仮定しても、古日という童子は憶良の子であるのか他人の子であるのかも分からない。恐らく他人の子であろう。(普通には、古日は憶良の子で、この時憶良は七十歳ぐらいの老翁だと解せられている。なお土屋氏は、古日はコヒと読むのかも知れないと云って居る。)
 一首の意は、死んで行くこの子は、未だ幼《おさな》い童子で、冥土《めいど》の道はよく分かっていない。冥土の番人よ、よい贈物をするから、どうぞこの子を背負って通してやって呉れよ、というのである。「幣《まひ》」は、「天にます月読壮子《つくよみをとこ》幣《まひ》はせむ今夜《こよひ》の長さ五百夜《いほよ》継ぎこそ」(巻六・九八五)、「たまぼこの道の神たち幣《まひ》はせむあが念ふ君をなつかしみせよ」(巻十七・四〇〇九)等にもある如く、神に奉る物も、人に贈る物も、悪い意味の貨賂《かろ》をも皆マヒと云った。
 この一首は、童子の死を悲しむ歌だが、内容が複雑で、人麿の歌の内容の簡単なものなどとは余程その趣が違っている。然かも黄泉の道行をば、恰《あたか》も現実にでもあるかの如くに生々《なまなま》しく表現して居るところに、憶良の歌の強味がある。歌調がぼきりぼきりとして流動的波動的
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