〕 安倍女郎
[#ここで字下げ終わり]
安倍女郎《あべのいらつめ》(伝不詳)の作った二首中の一つである。女性の声の直接伝わり来るような特色ある歌として選んだが、そうして見ると、素直でなかなか佳いところがある。前に既に「君に寄りななこちたかりとも」(巻二・一一四)の歌を引いたが、この歌はもっと分かり易くなって来て居る。
なお、この歌の次に「吾背子は物な念《おも》ほし事しあらば火にも水にも吾無けなくに」(巻四・五〇六)という歌があって、やはり同一作者だが、女性の情熱を云っている。併しこれも女性の語気として受取る方がよく、此時代になると、感情も一般化して分かりよくなっている。寧ろ、「事しあらば小泊瀬山《をはつせやま》の石城《いはき》にも籠《こも》らば共にな思ひ吾が背《せ》」(巻十六・三八〇六)の方が、古い味いがあるように思える。巻十六の歌は後に選んで置いた。
○
[#ここから5字下げ]
大原《おほはら》のこの市柴《いつしば》の何時《いつ》しかと吾《わ》が念《も》ふ妹《いも》に今夜《こよひ》逢《あ》へるかも 〔巻四・五一三〕 志貴皇子
[#ここで字下げ終わり]
志貴皇子の御歌で「市柴《いつしば》」は巻八(一六四三)に「この五柴《いつしば》に」とあるのと同じく、繁った柴のことだといわれている。「いつしかと」に続けた序詞だが、実際から来ている序詞である。「大原」は高市郡小原の地なることは既に云った。この歌で心を牽《ひ》いたのは、「今夜逢へるかも[#「今夜逢へるかも」に白丸傍点]」という句にあったのだが、この句は、巻十(二〇四九)に、「天漢《あまのがは》川門《かはと》にをりて年月を恋ひ来し君に今夜《こよひ》逢へるかも」というのがある。
なお、この巻(五二四)に、「蒸《むし》ぶすまなごやが下に臥せれども妹とし寝《ね》ねば肌《はだ》し寒しも」という藤原麻呂の歌もあり、覚官的のものだが、皇子の御歌の方が感深いようである。此等の歌は取立てて秀歌という程のものでは無いが、ついでを以て味うの便となした。
○
[#ここから5字下げ]
庭《には》に立《た》つ麻手《あさて》刈《かり》り干《ほ》ししき慕《しぬ》ぶ東女《あづまをみな》を忘《わす》れたまふな 〔巻四・五二一〕 常陸娘子
[#ここで字下げ終わり]
藤原|宇合《うまかい》(藤原不
前へ
次へ
全266ページ中110ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
斎藤 茂吉 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング