とも分かるのである。また現在淡路三原郡に沼島《ぬしま》村があるのは、野島の変化だとせば、野島をヌシマと発音した証拠となる。

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稲日野《いなびぬ》も行《ゆ》き過《す》ぎがてに思《おも》へれば心《こころ》恋《こほ》しき可古《かこ》の島《しま》見《み》ゆ 〔巻三・二五三〕 柿本人麿
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 人麿作、これも八首中の一つである。稲日野《いなびぬ》は印南野《いなみぬ》とも云い、播磨の印南郡の東部即ち加古川流域の平野と加古・明石《あかし》三郡にわたる地域をさして云っていたようである。約《つづ》めていえば、稲日野は加古川の東方にも西方にも亙《わた》っていた平野と解釈していい。可古島は現在の高砂《たかさご》町あたりだろうと云われている。島でなくて埼でも島と云ったことは、伊良虞《いらご》の島《しま》の条下《じょうか》で説明し、また後に出て来る、倭島《やまとしま》の条下でも明かである。加古は今は加古郡だが、もとは(明治二十二年迄)印南郡であった。
 一首の意は、広々とした稲日野《いなびぬ》近くの海を航していると、舟行が捗々《はかばか》しくなく、種々ものおもいしていたが、ようやくにして恋しい加古の島が見え出した、というので、西から東へ向って航している趣《おもむき》の歌である。
「稲日野も」の「も」は、「足引のみ山も清《さや》に落ちたぎつ」(巻六・九二〇)、「筑波根《つくばね》の岩もとどろに落つるみづ」(巻十四・三三九二)などの「も」の如く、軽く取っていいだろう。「過ぎがてに」は、舟行が遅くて、広々した稲日野の辺を中々通過しないというので、舟はなるべく岸近く漕《こ》ぐから、稲日野が見えている趣なのである。「思へれば」は、彼此《かれこれ》おもう、いろいろおもうの意で、此句と、前の句との間に小休止があり、これはやはり人麿的なのであるから、「ものおもふ」ぐらいの意に取ればいい。つまり旅の難儀の気持である。然るに従来この句を、稲日野の景色が佳いので、立去り難いという気持の句だと解釈した先輩(契沖以下殆ど同説)の説が多い。併しこの場合にはそれは感服し難い説で、そうなれば歌がまずくなってしまうと思うがどうであろうか。また用語の類例としては、「繩の浦に塩焼くけぶり夕されば行き過ぎかねて山に棚引く」(巻三・三五四)があって、私の解釈の無
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