理でないことを示している。
この歌は※[#「覊」の「馬」に代えて「奇」、第4水準2−88−38]旅中の感懐であって、風光の移るにつれて動く心の儘を詠じ、歌詞それに伴うてまことに得難い優れた歌となった。そして、「心|恋《こほ》しき加古の島」あたりの情調には、恋愛にかようような物懐しいところがあるが、人麿は全体としてそういう抒情的方面の豊かな歌人であった。
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ともしびの明石《あかし》大門《おほと》に入《い》らむ日《ひ》や榜《こ》ぎ別《わか》れなむ家《いへ》のあたり見《み》ず 〔巻三・二五四〕 柿本人麿
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人麿作、※[#「覊」の「馬」に代えて「奇」、第4水準2−88−38]旅八首中の一。これは西の方へ向って船で行く趣である。
一首の意は、〔ともしびの〕(枕詞)明石《あかし》の海門《かいもん》を通過する頃には、いよいよ家郷の大和《やまと》の山々とも別れることとなるであろう。その頃には家郷の大和も、もう見えずなる、というのである。「入らむ日や」の「や」は疑問で、「別れなむ」に続くのである。
歌柄の極めて大きいもので、その点では万葉集中|稀《まれ》な歌の一つであろうか。そして、「入らむ[#「らむ」に白丸傍点]日や」といい、「別れなむ[#「なむ」に白丸傍点]」というように調子をとっているのも波動的に大きく聞こえ、「の」、「に」、「や」などの助詞の使い方が実に巧みで且つ堂々としておる。特に、第四句で、「榜ぎ別れなむ」と切って、結句で、「家のあたり見ず」と独立的にしたのも、その手腕|敬憬《けいけい》すべきである。由来、「あたり見ず」というような語には、文法的にも毫も詠歎の要素が無いのである。「かも」とか、「けり」とか、「はや」とか、「あはれ」とか云って始めて詠歎の要素が入って来るのである。文法的にはそうなのであるが、歌の声調方面からいうと、響きから論ずるから、「あたり見ず」で充分詠歎の響があり、結句として、「かも」とか、「けり」とかに匹敵するだけの効果をもっているのである。この事は、万葉の秀歌に随処に見あたるので、「その草深野」、「棚無し小舟」、「印南《いなみ》国原」、「厳橿《いつかし》が本」という種類でも、「月かたぶきぬ」、「加古の島見ゆ」、「家のあたり見ず」でも、また、詠歎の入っている、「見れど飽
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