三)と和《こた》えていられる。
○
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玉藻《たまも》かる敏馬《みぬめ》を過《す》ぎて夏草《なつくさ》の野島《ぬじま》の埼《さき》に船《ふね》ちかづきぬ 〔巻三・二五〇〕 柿本人麿
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これは、柿本朝臣人麻呂|※[#「覊」の「馬」に代えて「奇」、第4水準2−88−38]旅《きりょ》歌八首という中の一つである。※[#「覊」の「馬」に代えて「奇」、第4水準2−88−38]旅八首は、純粋の意味の連作でなく、西へ行く趣の歌もあり、東へ帰る趣の歌もある。併し八首とも船の旅であるのは注意していいと思う。敏馬は摂津武庫郡、小野浜から和田岬までの一帯、神戸市の灘区に編入せられている。野島は淡路の津名郡に野島村がある。
一首の意は、〔玉藻かる〕(枕詞)摂津の敏馬《みぬめ》を通《とお》って、いよいよ船は〔夏草の〕(枕詞)淡路の野島の埼に近づいた、というのである。
内容は極めて単純で、ただこれだけだが、その単純が好いので、そのため、結句の、「船ちかづきぬ」に特別の重みがついて来ている。一首に枕詞が二つ、地名が二つもあるのだから、普通謂う意味の内容が簡単になるわけである。この歌の、「船近づきぬ」という結句は、客観的で、感慨がこもって居り、驚くべき好い句である。万葉集中では、「ひむがしの野にかぎろひの立つ見えてかへり見すれば月かたぶきぬ」(巻一・四八)、「風をいたみ奥《おき》つ白浪高からし海人《あま》の釣舟浜に帰りぬ」(巻三・二九四)、「あらたまの年の緒ながく吾が念《も》へる児等に恋ふべき月近づきぬ」(巻十九・四二四四)等の例があり、その結句は、文法的には客観的であって、感慨のこもっているものである。第三句、「夏草の」を現実の景と解する説もあるが、これは、「夏草の靡き寝《ぬ》」の如きから、「寝《ぬ》」と「野《ぬ》」との同音によって枕詞となったと解釈した。またこう解すれば、「奴流」(寝)は「奴島」(巻三・二四九)のヌと同じく、時には「努」(野)とも通用したことが分かるし、阿之比奇能夜麻古要奴由伎《アシヒキノヤマコエヌユキ》(巻十七・三九七八)の、「奴由伎」は「野ゆき」であるから、「奴」、「努」の通用した実例である。即ち甲類乙類の仮名通用の例でもあり、野の中間音でヌと発音した積極的な例ともなり、ノと書くことの間違だというこ
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