五)ともある如く、山科の木幡とも云った。天皇の御陵の辺を見つつ詠まれたものであろう。右は大体契沖の説だが、「青旗の木旗」をば葬儀の時の幢幡《どうばん》のたぐいとする説(考・檜嬬手・攷證)がある。自分も一たびそれに従ったことがあるが、今度は契沖に従った。
 一首の意。〔青旗の〕(枕詞)木幡山の御墓のほとりを天がけり通いたもうとは目にありありとおもい浮べられるが、直接にお逢い奉ることが無い。御身と親しく御逢いすることがかなわない、というのである。
 御歌は単純蒼古で、徒《いたず》らに艶《つや》めかず技巧を無駄使せず、前の御歌同様集中傑作の一つである。「直に」は、現身と現身と直接に会うことで、それゆえ万葉に用例がなかなか多い。「百重《ももへ》なす心は思へど直《ただ》に逢はぬかも」(巻四・四九六)、「うつつにし直にあらねば」(巻十七・三九七八)、「直にあらねば恋ひやまずけり」(同・三九八〇)、「夢にだに継ぎて見えこそ直に逢ふまでに」(巻十二・二九五九)などである。「目には見れども」は、眼前にあらわれて来ることで、写象として、幻《まぼろし》として、夢等にしていずれでもよいが、此処は写象としてであろうか。「み空ゆく月読《つくよみ》男《をとこ》ゆふさらず目には見れども寄るよしもなし」(巻七・一三七二)、「人言《ひとごと》をしげみこちたみ我背子《わがせこ》を目には見れども逢ふよしもなし」(巻十二・二九三八)の歌があるが、皆民謡風の軽さで、この御歌ほどの切実なところが無い。

           ○

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人《ひと》は縦《よ》し思《おも》ひ止《や》むとも玉《たま》かづら影《かげ》に見《み》えつつ忘《わす》らえぬかも 〔巻二・一四九〕 倭姫皇后
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 これには、「天皇崩じ給ひし時、倭太后《やまとのおほきさき》の御作歌一首」と明かな詞書《ことばがき》がある。倭太后は倭姫皇后のことである。
 一首の意は、他の人は縦《たと》い御崩《おかく》れになった天皇を、思い慕うことを止めて、忘れてしまおうとも、私には天皇の面影がいつも見えたもうて、忘れようとしても忘れかねます、というのであって、独詠的な特徴が存している。
「玉かづら」は日蔭蔓《ひかげかずら》を髪にかけて飾るよりカケにかけ、カゲに懸けた枕詞とした。山田博士は葬儀の時の華縵《けまん》として単純な枕
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