と強く断定しているのは、却ってその詠歎の究竟《きゅうきょう》とも謂うことが出来る。橘守部《たちばなのもりべ》は、この御歌の「天の原」は天のことでなしに、家の屋根の事だと考証し、新室を祝う室寿《むろほぎ》の詞の中に「み空を見れば万代にかくしもがも」云々とある等を証としたが、その屋根を天に準《たと》えることは、新家屋を寿《ことほ》ぐのが主な動機だから自然にそうなるので、また、万葉巻十九(四二七四)の新甞会《にいなめえ》の歌の「天《あめ》にはも五百《いほ》つ綱はふ万代《よろづよ》に国知らさむと五百つ綱|延《は》ふ」でも、宮殿内の肆宴《しえん》が主だからこういう云い方になるのである。御不予御平癒のための願望動機とはおのずから違わねばならぬと思うのである。縦《たと》い、実際的の吉凶を卜《ぼく》する行為があったとしても、天空を仰いでも卜せないとは限らぬし、そういう行為は現在伝わっていないから分からぬ。私は、歌に「天の原ふりさけ見れば」とあるから、素直に天空を仰ぎ見たことと解する旧説の方が却って原歌の真を伝えているのでなかろうかと思うのである。守部説は少し穿過《うがちす》ぎた。
 この歌は「天の原ふりさけ見れば」といって直ぐ「大王の御寿は」と続けている。これだけでみると、吉凶を卜して吉の徴でも得たように取れるかも知れぬが、これはそういうことではあるまい。此処に常識的意味の上に省略と単純化とがあるので、此は古歌の特徴なのである。散文ならば、蒼天の無際無極なるが如く云々と補充の出来るところなのである。この御歌の下の句の訓も、古鈔本では京都大学本がこう訓み、近くは略解《りゃくげ》がこう訓んで諸家それに従うようになったものである。

           ○

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青旗《あをはた》の木幡《こはた》の上を通《かよ》ふとは目《め》には見《み》れども直《ただ》に逢《あ》はぬかも 〔巻二・一四八〕 倭姫皇后
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 御歌の内容から見れば、天智天皇崩御の後、倭姫皇后の御作歌と看做してよいようである。初句「青旗の」は、下の「木旗」に懸《かか》る枕詞で、青く樹木の繁っているのと、下のハタの音に関聯せしめたものである。「木幡」は地名、山城の木幡《こはた》で、天智天皇の御陵のある山科《やましな》に近く、古くは、「山科の木幡《こはた》の山を馬はあれど」(巻十一・二四二
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