詞にしない説を立てた。この御歌には、「影に見えつつ」とあるから、前の御歌もやはり写象のことと解することが出来るとおもう。「見し人の言問ふ姿面影にして」(巻四・六〇二)、「面影に見えつつ妹は忘れかねつも」(巻八・一六三〇)、「面影に懸かりてもとな思ほゆるかも」(巻十二・二九〇〇)等の用例が多い。
 この御歌は、「人は縦し思ひ止むとも」と強い主観の詞を云っているけれども、全体としては前の二つの御歌よりも寧《むし》ろ弱いところがある。それは恐らく下の句の声調にあるのではなかろうか。

           ○

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山吹《やまぶき》の立《た》ちよそひたる山清水《やましみづ》汲《く》みに行《ゆ》かめど道《みち》の知《し》らなく 〔巻二・一五八〕 高市皇子
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 十市皇女《とおちのひめみこ》が薨ぜられた時、高市皇子《たけちのみこ》の作られた三首の中の一首である。十市皇女は天武天皇の皇長女、御母は額田女王《ぬかだのおおきみ》、弘文天皇の妃であったが、壬申《じんしん》の戦後、明日香清御原《あすかのきよみはら》の宮(天武天皇の宮殿)に帰って居られた。天武天皇七年四月、伊勢に行幸御進発間際に急逝せられた。天武紀に、七年夏四月、丁亥朔、欲[#レ]幸[#二]斎宮[#一]、卜[#レ]之、癸巳食[#レ]卜、仍取[#二]平旦時[#一]、警蹕既動、百寮成[#レ]列、乗輿命[#レ]蓋、以未[#レ]及[#二]出行[#一]、十市皇女、卒然病発、薨[#二]於宮中[#一]、由[#レ]此鹵簿既停、不[#レ]得[#二]幸行[#一]、遂不[#レ]祭[#二]神祇[#一]矣とある。高市皇子は異母弟の間柄にあらせられる。御墓は赤穂にあり、今は赤尾に作っている。
 一首の意は、山吹の花が、美しくほとりに咲いている山の泉の水を、汲みに行こうとするが、どう通《とお》って行ったら好いか、その道が分からない、というのである。山吹の花にも似た姉の十市皇女が急に死んで、どうしてよいのか分からぬという心が含まれている。
 作者は山清水のほとりに山吹の美しく咲いているさまを一つの写象として念頭に浮べているので、謂わば十市皇女と関聯した一つの象徴なのである。そこで、どうしてよいか分からぬ悲しい心の有様を「道の知らなく」と云っても、感情上|毫《すこ》しも無理ではない。併し、常識からは、一定の山清水
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