合は御弟を「背子」と云っている。親しんでいえば同一に帰着するからである。「大和へやる」の「やる」という語も注意すべきもので、単に、「帰る」とか「行く」とかいうのと違って、自分の意志が活《はたら》いている。名残惜しいけれども帰してやるという意志があり、そこに強い感動がこもるのである。「かへし遣る使なければ」(巻十五・三六二七)、「この吾子《あこ》を韓国《からくに》へ遣るいはへ神たち」(巻十九・四二四〇)等の例がある。

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二人《ふたり》行《ゆ》けど行《ゆ》き過《す》ぎがたき秋山《あきやま》をいかにか君《きみ》がひとり越《こ》えなむ 〔巻二・一〇六〕 大伯皇女
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 大伯皇女《おおくのひめみこ》の御歌で前の歌の続と看做《みな》していい。一首の意は、弟の君と一しょに行ってもうらさびしいあの秋山を、どんな風《ふう》にして今ごろ弟の君はただ一人で越えてゆかれることか、というぐらいの意であろう。前の歌のうら悲しい情調の連鎖としては、やはり悲哀の情調となるのであるが、この歌にはやはり単純な親愛のみで解けないものが底にひそんでいるように感ぜられる。代匠記に、「殊ニ身ニシムヤウニ聞ユルハ、御謀反ノ志ヲモ聞セ給フベケレバ、事ノ成《なり》ナラズモ覚束《おぼつか》ナク、又ノ対面モ如何ナラムト思召《おぼしめす》御胸ヨリ出レバナルベシ」とあるのは、或は当っているかも知れない。また、「君がひとり」とあるがただの御一人でなく御伴もいたものであろう。

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あしひきの山《やま》の雫《しづく》に妹《いも》待《ま》つとわれ立《た》ち沾《ぬ》れぬ山《やま》の雫《しづく》に 〔巻二・一〇七〕 大津皇子
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 大津皇子が石川郎女《いしかわのいらつめ》(伝未詳)に贈った御歌で、一首の意は、おまえの来るのを待って、山の木の下に立っていたものだから、木からおちる雨雫にぬれたよ、というのである。「妹待つと」は、「妹待つとて」、「妹を待とうとして、妹を待つために」である。「あしひきの」は、万葉集では巻二のこの歌にはじめて出て来た枕詞であるが、説がまちまちである。宣長の「足引城《あしひきき》」説が平凡だが一番真に近いか。「足《あし》は山の脚《あし》、引は長く引延《ひきは》へたるを云
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