。城《き》とは凡て一構《ひとかまへ》なる地《ところ》を云て此は即ち山の平《たひら》なる処をいふ」(古事記伝)というのである。御歌は、繰返しがあるために、内容が単純になった。けれどもそのために親しみの情が却って深くなったように思えるし、それに第一その歌調がまことに快いものである。第二句の「雫に」は「沾れぬ」に続き、結句の「雫に」もまたそうである。こういう簡単な表現はいざ実行しようとするとそう容易にはいかない。
 右に石川郎女の和《こた》え奉った歌は、「吾《あ》を待つと君が沾《ぬ》れけむあしひきの山《やま》の雫《しづく》にならましものを」(巻二・一〇八)というので、その雨雫になりとうございますと、媚態を示した女らしい語気の歌である。郎女の歌は受身でも機智が働いているからこれだけの親しい歌が出来た。共に互の微笑をこめて唱和しているのだが、皇子の御歌の方がしっとりとして居るところがある。

           ○

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古《いにしへ》に恋《こ》ふる鳥《とり》かも弓弦葉《ゆづるは》の御井《みゐ》の上《うへ》より鳴《な》きわたり行《ゆ》く 〔巻二・一一一〕 弓削皇子
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 持統天皇が吉野に行幸あらせられた時、従駕の弓削皇子《ゆげのみこ》(天武天皇第六皇子)から、京に留まっていた額田王に与えられた歌である。持統天皇の吉野行幸は前後三十二回にも上るが、杜鵑《ほととぎす》の啼《な》く頃だから、持統四年五月か、五年四月であっただろう。
 一首の意は、この鳥は、過去ったころの事を思い慕うて啼く鳥であるのか、今、弓弦葉《ゆづるは》の御井《みい》のほとりを啼きながら飛んで行く、というのである。
「古《いにしへ》」即ち、過去の事といふのは、天武天皇の御事で、皇子の御父であり、吉野とも、また額田王とも御関係の深かったことであるから、そこで杜鵑を機縁として追懐せられたのが、「古に恋ふる鳥かも」という句で、簡浄の中に情緒《じょうちょ》充足し何とも言えぬ句である。そしてその下に、杜鵑の行動を写して、具体的現実的なものにしている。この関係は芸術の常道であるけれども、こういう具合に精妙に表われたものは極く稀《まれ》であることを知って置く方がいい。「弓弦葉の御井」は既に固有名詞になっていただろうが、弓弦葉(ゆずり葉)の好い樹が清泉のほとりにあったためにその名を得た
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