忙しくせつぱつまつた現世《げんぜ》でも、やはり身に沁《し》みるところがあつた。私等はそれでも提灯をつけたまま到頭宿坊に帰つて来、何か発見でもした様な気分で一夜ねむつた。
翌朝T君は、起きると直ぐ高野山の地図を買つて来て調べてゐた。貧しい朝食をすまして横になつてゐると、そこにゆうべの青年が報告に来た。青年はゆうべ奥の院に行つた時には、鳥の声はしきりにして居つたさうである。それが十一時半になるとぴたりと止《や》んで、午前一時まで二たび啼くのを待つてゐたが、到頭啼かずにしまつたといふのである。
この報告は、T君の説を確かめるのに非常に有力であつた。それのみではない。T君の調べた地図に拠《よ》ると、ゆうべ鳥の啼いた方向にはさう深い森林が無い。寧《むし》ろ浅山《あさやま》と謂《い》つて好い。それから、そこを通ずる道路がありそこに一二軒の人家がある。
『どうです。声の発源点は此処《ここ》ですよ』
かう云つてT君は大きな手の指で、その人家のところを圧《お》しつけたりした。青年は最初は何の事だか分からず、怪訝《けげん》の顔をしてゐたが、仏法僧鳥の声の人工説だといふことを知つて、『実に惜しい』と
前へ
次へ
全14ページ中10ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
斎藤 茂吉 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング