いふ顔をありありとした。茲《ここ》に於《おい》て私等の三人と一人の青年とを加へて四人は人工説に傾いてしまつた。
 けれども、O先生はこの説を是認されなかつた。『それは、Tさんの説のやうに人工かも知れない。けれども人工であつたとしても、数百年間この事を他へ漏らさない一山《いちざん》の人々は偉いんです。やつぱり本物の鳥と思つてきくんですね。それが空海《くうかい》の徳でせう。正岡子規先生ではないが、弘法《こうぼふ》をうづめし山に風は吹けどとこしへに照す法《のり》のともしび。ですよ』かう云はれるのであつた。

 私等は雨の晴れ間を大門《だいもん》のところの丘の上に上つて、遙か向うに山が無限に重なるのを見たとき、それから其処《そこ》のところから淡路島《あはぢしま》が夢のやうになつて横《よこた》はつてゐるのを見たときには、高野山上をどうしても捨てがたかつた。または金堂《こんだう》の中にゐて轟《とどろ》く雷鳴を聞きながら、空海四十二歳の座像を見てゐたときなどは、寂しい心持になつてこの山上を愛著《あいぢやく》したのである。
 併し或堂内で、畳の上にあがつて杉戸の絵を見てゐると小坊主に咎《とが》められた
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