に移転したが、三月はじめから肋膜炎になって臥床していると、四月にはもう蚤が出た。一つ二つに過ぎなかったものが段々ふえてくる。気がいらいらしていると、雇った看護婦が親切でよくその蚤を捕えてくれくれした。看護婦はその捕えた蚤のまだ生きているのを縫針に突きとおし、ハリツケデゴザイマスなどと言って自分のところに持って来てくれるので、枕頭でそれを見乍ら心を慰めて居るという具合であった。
自分のまだ臥していたころ、DDTという薬のことが噂にのぼり、汽車の乗客が停車場で体ぢゅう撒かれたなどという話が伝わった。ある時看護婦が町の薬種屋から少しばかりその薬を買って来てくれた。
それを試しに畳のうえ、布団の上などに撒いていたところが、どうも蚤が減ったような気がする。これはおもしろいとおもって、そこで県庁の衛生課に願ってもっと多くの分量をもらい、畳の白くなるほど撒布しておいたところが、いつということなく蚤が出なくなる傾向を示した。おかげ(真におかげさま)で、昭和二十一年の夏は、僕発明の蚤よけ袋の中に這入る必要もなく、病後の身を安らかに過ごすことが出来たのである。
蚤という昆虫はいつ日本に渡来したものか
前へ
次へ
全6ページ中4ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
斎藤 茂吉 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング