れる。此《こ》の川の川原《かはら》の石はいつも白い様な色合を帯びてゐて水苔《みづごけ》一つ生えない。清く澄んだ流であるが味が酸いので魚も住まず虫のたぐひも卵一つ生むことをしない。又この水を田に引くと稲作《いなさく》に害があるので、百姓にとつて此の川は一つの毒川だと謂《い》つてよい。これを酢川《すかは》と何時《いつ》の頃からか名づけて来た。それから、金瓶村の西方を流れる川は米沢境《よねざはさかひ》の分水嶺から出てくるもので、山形の平野に出てから遂に最上川に入るのであるが、これは淡水であつて多くの魚類を住まはせてゐる。然《しか》るに昔、雨降の後に洪水《おほみづ》が出た時、村の東境まで西へ向つて流れて来た酢川が、北へ折れる処で北へ折れずにそこを突破したから、村の西方を北へ流れてゐる淡水の川に、酢川の水が混つてしまつた。いはば西洋文字のHの様な恰好《かつかう》になつたのである。すると其の川に住んでゐる魚族が一度にむらがり死ぬといふ現象が起つた。さういふ害のある水が淡水の川に混つては困るから、村では破れたところに堤防を築いてその混入を防いだのである。然るにいつの頃からであらうか。時代はずつとずつ
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