くばう》を紹介してくれた。それから豪雨の降るなかを駕籠で登つて宿坊へ著いた。そこに二晩|宿《とま》り、貧しい精進《しやうじん》料理を食つた。饅頭《まんぢゆう》が唯ひとつ寂し相に入つてゐる汁で飯を食べたことなどもある。而《そ》して、そこで勧められる儘《まま》に、父の追善《つゐぜん》のために廻向《ゑかう》をして貰《もら》つた。その時ふと僕は父が死んでからもう三回忌になると思つたのであつた。
本来からいへば七月に三回忌の法事をするのであるが、稲作《いなさく》の為事《しごと》が終へてから行ふことになり、八月、九月、十月と過ぎて、十月のすゑに行つた。けれども僕は東京の事情に礙《さまた》げられて列席することが出来ないので、そのことをも僕はひどく寂しくおもつた。法事終へてから家兄が父の小さい手帳を届けて呉れた。これは大正四年に西国《さいこく》に旅《たび》した時の父の日記である。
五月六日。旧三月廿三日。天気|吉《よし》。吉野町より、朝六時吉野山のぼり、午前十一時吉野駅発。高野口《かうやぐち》駅え午後一時三十分著。是《これ》より五十丁つめ三里高野山え上り、午後八時頃北室院に著。一円、吉野町宿料払。
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