精《せい》を泄《もら》しつ、その精草の葉にかかれり。などといふやうなことが書いてあつた。僕は計らずも洋臭を遠離《をんり》して、東方の国土の情調に浸つたのであつた。さういふ心の交錯のあつたときに、僕は父の訃音《ふおん》を受取つた。七十を越した齢《よはひ》であるから、もはや定命《ぢやうみやう》と看《み》ても好《よ》いとおもふが、それでもやはり寂しい心が連日|湧《わ》いた。夜の暁方《あけがた》などに意識の未だ清明《せいめい》にならぬ状態で、父の死は夢か何かではなからうかなどと思つたこともある。併《しか》し目の覚めて居るときには、いろいろと父の事を追慕した。それは尽《ことごと》く東海《とうかい》の生れ故郷の場面であつた。「念珠集」は所詮、貧しい記録に過ぎぬ。けれどもさういふ悲しい背景をもつてゐるのである。僕を思つてくれる友よ。どうぞ怒《いか》らずに欲しい。
大正十四年八月に、比叡山《ひえいざん》のアララギ安居会《あんごくわい》に出席して、それから先輩、友人五人の同行《どうぎやう》で高野山《かうやさん》にのぼつた。登山自動車の終点で駕籠《かご》に乗らうとした時に、男が来て北室院といふ宿坊《しゆ
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