に欲しい。
ミユンヘンに留学中は、主に実験脳病理学のことをやつた。少い暇に読む書物も、それから考へることもさういふことが主《おも》になつてゐた。〔ischa:mische Zellvera:nderung〕 といふやうなこと、Kolliquations−Nekrose とか、koagulierende Nekrose とか、例へばさういふ概念が頭を領してゐるのであつた。そのまた暇に僕は心理書を読んでみた。Hylopsychismus といふことだの、Zerlegung der Gignomene とか、Unbewusstheit der Reduktionsbestandteile とかいふことだの、さういふことが頭を悩ましたのであつた。
ところが、僕の下宿に馬琴《ばきん》のものが置いてあつた。もう古びて、何代《なんだい》もの留学生が異郷の寂しさをそれで紛らしたといふことを証拠立ててゐた。馬琴のものなどはこれまで読んだことのない僕が、ある時ふとそれを読んでみた。久遠《くをん》のむかしに、天竺《てんぢく》の国にひとりの若い修行《しゆぎやう》僧が居り、野にいでて、感ずるところありてその
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