、大凡《おほよそ》農業日記であつて、そのなかに、ぽつりぽつり、僕に呉れた小遣銭《こづかひせん》の記入などがあるのである。明治廿二年の条《くだり》に、宝泉寺え泥ぼう入《はひり》、伝右衛門|下男《げなん》刀|持《もち》て表より行《ゆく》。熊次郎|槍《やり》持《もち》て裏より行、などといふ事件の記事もある。これは、宝泉寺住職|※[#「宀/隆」、第4水準2−8−9]応《りゆうおう》和尚が上京して留守中、泥棒が入らうとして日本刀で戸をずたずたに切つた。倔強《くつきやう》の若者が二人ばかり宿《とま》つてゐたが、恐れてしまつて何の役にも立たなかつた時の話である。伝右衛門は祖父の名で未だ存命中であつた。熊次郎は父の名である。
 一時剣術に凝つたり、砲術を習つたりした名残《なごり》で、どちらかといへば、さういふ時に槍など持つことを好んでゐた。父はさういふとき『得手《えて》まへ』といふ言葉を好《よ》く使つた。

    10[#「10」は縦中横] 念珠集跋

「念珠集」は、所詮《しよせん》『わたくしごと』の記に過ぎないから、これは『秘録』にすべきものであつた。それであるから、僕の友よ、どうぞ怒《いか》らず
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