ら、明治二十|丁亥《ひのとゐ》年六月二日。晴天。夜おいく安産。と父の日記にあつて、僕の弟が生れてゐるから、青根温泉湯治中に母は懐妊《くわいにん》したのではないかと僕は今おもふのである。

    9 奇蹟。日記鈔

 不思議奇蹟などいふことは中江兆民には無かつた。それは開化を輸入するには物質窮理の学を先づ輸入せねばならぬから、兆民は当時『理学』と謂《い》つてゐる哲学をも輸入したが、いきほひ『奇蹟』を対治《たいぢ》する立場にあつた。けれども僕のやうな気の弱いものには、『奇蹟』は幾つもある。
 大正十三年の暮に火事があつて、僕の書籍なんどもあんなに焼け果ててしまつたのに、僕が郷里から持つて来て、新聞紙に一包にしてゐた祖父と父の覚帳《おぼえちやう》が煙にこげたまま焼けずにゐた。びしよぬれになつてゐた日本紙で綴《つづ》つた帳面を一枚一枚火鉢の火で乾かしながら、僕は実に強い不思議を感じてゐた。僕の甥《をひ》は、紙を乾かすのを手伝ひながら、『軽いものですから、二階の焼落ちるときに跳ね飛ばされたんでせう』などと云つた。また『被服廠《ひふくしやう》の時のやうにつむじ風が起つて吹き飛ばしたのかも知れませ
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