んね』『併《しか》しあんなぺらぺらな紙の帳面ですから、直ぐ焼けてもいい筈《はず》ですがね』などとも云つた。甥はなるべく物理学の理屈で説明をつけようとするのであるがそれでは分からない点が幾らもあつた。
 祖父のものは、俳諧《はいかい》連歌《れんが》か何かを記入したものであつたが、父のものには、『品々万書留帳《しなじなよろづかきとめちやう》』といふ、明治七|甲戌《きのえいぬ》年二月吉日に拵《こしら》へたものである。これは長兄が生れたとき、祝《いはひ》に貰《もら》つた品々などの記入から始まり、法事の時の献立《こんだて》、病気見舞の品々、婚礼のときの献立など、こまごまと記《しる》してあるので、僕は珍しいと思つて貰ひ受けたのであつた。例へば、明治廿三年二月廿三日夜より廿四日。盛華院清阿妙浄善大姉三回忌仏事献立控の廿四日十二人|前《まへ》の条《くだり》に、平(かんぴよう。いも。油あげ。こんにやく。むきたけ)。手しほ皿(奈良漬。なんばん)。ひたし(韮《にら》)。皿(糸こん。くるみ合)。巻ずし(黒のり、ゆば)。吸物(包ゆば二つ。しひたけ。うど)。あげ物(牛蒡《ごばう》。いも。かやのみ。くわい。柿)。煮
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