たりする。母は家に居るときには終日|忙《せは》しく働くのにその女は決して働かない。それが童子の僕には不思議のやうに思はれたことをおぼえてゐる。
 僕は入湯してゐても毎晩|夜尿《ねねう》をした。それは父にも母にも、もはや当りまへの事のやうに思はれたのであつたけれども、布団のことを気にかけずには居られなかつた。雨の降る日にはそつとして置いたが、天気になると直ぐ父は屋根のうへに布団を干した。器械体操をするやうな恰好《かつかう》をして父が布団を屋根のうへに運んだのを僕はおぼえてゐる。
 或る日に、多分雨の降つてゐた日ででもあつたか、湯治客《たうぢきやく》がみんなして芝居の真似《まね》をした。何でも僕らは土戸《つちど》のところで見物してゐたとおもふから、舞台は倉座敷であつたらしい。仙台から湯治に来てゐる媼《おうな》なども交つて芝居をした。その時父はひよつとこ[#「ひよつとこ」に傍点]になつた。それから、そのひよつとこ[#「ひよつとこ」に傍点]の面《めん》をはづして、囃子手《はやして》のところで笛を吹いてゐたことをおぼえてゐる。
 父の日記に拠《よ》ると、青根温泉に七日ゐた訣《わけ》である。それか
前へ 次へ
全54ページ中42ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
斎藤 茂吉 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング