ぎ古稀《こき》をも過ぎた。父は上山町のとある店先で、感に堪へたといふ風で、蓄音機の喇叭《ラツパ》から伝つてくる雲右衛門《くもゑもん》の浪花節を聞いてゐたことがある。けれども、父はその蓄音機は窮理の学に本づくものだといふことなどは追尋《つゐじん》しようともしなかつた。スペクトラを退治した写象なども無論意識のうへにのぼつて来なかつたのである。

    5 漆瘡

 村の学校が隣村《りんそん》の学校に合併されて、そこに尋常高等小学校の建つたのは、森文部大臣が殺されて、一二年も経つたころであつただらう。
 学校まで小《こ》一里あつた。雪の深い朝などには、せいぜい炭つけ馬が一つ二つ通るぐらゐなところで、道がまだ附いてゐない。雪が腰を没すといふやうなことは稀《まれ》でなかつた。子供等は五六人固まつてその深雪を冒して行くのであるが、ひどく難儀をしたものである。途中で泣出して学校に行著くまで黙らなかつた子などもゐた。
 けれどもそこを辛抱すれば、柳に銀色の花が咲くころから早春が来て、雪の降るのがだんだん少くなつて来る。それから一月も立てば、麗《うらら》かな天気が幾日も続いて、雪がおのづと解けてくる。
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