教師様。お前はきりしたん伴天連に騙《だま》されて居るんではあんまいな。これを見さつしやい。お天道《てんたう》さまも、ほれから囲炉裏のおきも、同じに見えるのがどうか。からくりが無いやうにして此の中に有るに違ひないな。きりしたん伴天連おれの念力でなくなれ。
かういつて、父は三稜鏡をいきなり炉の炎の中に投げた。教員は驚き慌ててそれを拾つたが、忿怒《ふんど》することを罷《や》めて、やはり父がしたやうに炉の炎をしばらくの間三稜鏡で眺めてゐた。教員は日光と炉の焚火《たきび》と同じであるか違ふものであるかの判断はつかなかつた。教員の窮理の学はここで動揺した。父は威張つてそこを引きあげた。
後年父は屡《しばしば》その話をした。文明開化の学問をした教員を負かしたといふところになかなか得意な気持があつた。けれども単にそれのみではなかつたであらう。神を念じて穀断《ごくだち》塩断《しほだち》してゐたやうな父は、すぐさまスペクトラの実験の腑《ふ》におちよう筈《はず》はないのである。腑に落ちるなどと謂《い》ふより反撥《はんぱつ》したといつた方がいいかも知れない。
それからずつと月日が立つて、父は還暦を過
前へ
次へ
全54ページ中24ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
斎藤 茂吉 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング