たことが、何だか一種の哀《あはれ》ふかいやうな気持で僕の心に浮んでくることもあつたのである。
父は三山《さんざん》や蔵王山《ざわうさん》あたりを信心して一生|四足《しそく》を食はずにしまつた。僕の寝小便がなかなか直らぬので、牛《ぎう》が好い、馬《ば》が好い、犬《いぬ》が好いなどと教へて呉れるものがあつたが、父はわざわざ町まで行つて、朝鮮|人蔘《にんじん》二三本買つて来てくれたことをおぼえて居る。それであるから、兄が十五になつて、若者仲間に入つてから間もなく、大雪が降つてそれの固まつた或る晩に、鮭《さけ》の頭に爆発する為掛《しかけ》をして、狐《きつね》六|疋《ぴき》を殺した。六疋の狐は銘々行くところに行つて死んでゐたさうである。垂れてゐる血を辿《たど》つて行くと其処《そこ》に狐が死んでゐるので、一つなどはそれでも、林の中の泉の傍まで行つてゐたさうである。兄達五六人の若者は夜業の藁為事《わらしごと》が済んでからそれを煮て食つた。兄は爆発為掛の旨《うま》く行つたことを得意に話しながら、どうも少し臭くて駄目だな。牛《ぎう》よりも旨くないな。こんなことを話した。それを次の日父が聞きつけて非常に
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