が、私には、やはり実際の技《わざ》の批評の方が有益である。『右四ツとなつた刹那の安芸の体勢、つまり頭を双葉の胸にあてがつて右廻しを引きつけて』云々といふあたりである。さうして、どうしてさういふ体勢になつたか、その肉体的関係の批評の方が有益なのである。
その他の批評には、お極りの人生行路上の教訓などを附加へてあるのが多かつた。即ち双葉山が相撲に負けたのを種にして、大に悟つたと自覚して、好い気持になつてゐるのであつた。けれども私等は、相撲の批評は、相撲実技の批評の方がおもしろくもあり、その方が確かだとおもふのである。
もう少し、『技』についての評を附加へるなら、双葉山が安芸ノ海に敗れた時、双葉山は右下手を打つたのは無謀だとか、掬ひ投げをやつたのが粗雑だとか、さういふ批評が多かつた。然るにそれについて藤島取締は次のやうに評してゐる。『双葉山が勝をあせつて掬ひ投げに出たといふ報道もあつたが、彼の如き優れた相撲道の天才が、この不利なコンデイシヨンの下にあつて、この粗暴に近い強引策を用ひたとは考へられない。これは確に双葉が自己の悪い体勢を挽回せんが為にやつたものとのみ考へられる。この掬ひ投げを
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