家よりも、余程重く考へてゐるものである。
一月十九日(二十日附)の読売新聞の第二夕刊で、長谷川如是閑氏は、いろいろ考察したうへに心理的効果に重きを置き、『然るにある動因からその地位が転倒すると事態は正反対に逆転する。双葉の最初の敗因が何であつたにせよ。それは事態を逆転させる機会となつた。ために両者の心理的効果は逆になつて、双葉の十分の力は八分にしか作用しなくなり、相手の十分の力が十二分に働くこととなつた。それが連敗の因である。さればその心理的効果のとり戻しが、力のとり戻しの先決問題である』といつてゐる。また文壇きつての相撲通尾崎士郎氏も一月二十日の朝日新聞で、やはりこの問題に触れ、『私はこの一番こそ双葉山にとつてあたらしい運命の方向を暗示するものであつたと考へる』、『私の見解をもつてすれば、肉体的な問題よりも今日の土俵は彼の運命が自然に辿りつくべき境地へ辿りついただけのことである』。『双葉フアンは、彼の目方が前場所に比べて三貫目減つてゐたところに敗因があるといふ。この解釈はあまりにナンセンスに過ぎることはわかりきつてゐる』云々と云つてゐる。尾崎氏のは運命観、長谷川氏のは心理的効果論。
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