総がかりで双葉山を研究してゐるし、敢て油断とはいはないが、そこに何かあるのではないか』云々といふことを云つてゐた。
この、『総がかりの研究』云々といふのは、旨いことを云つたもので、太刀山の強かつた時分には、どの部屋の力士も、みんな太刀山をどうして負かし得るかといふ工夫ばかりしてゐた。そこで栃木山が太刀山に勝ち、大錦が太刀山に勝つたのも、その取り口をこまかく調べると、太刀山の相撲の癖を、実にまんべんなくおぼえて、その虚に乗じたものであつた。
今度の双葉山の場合は、自分はこのごろ相撲に遠ざかつたので、よく訣をしらないが、太刀山の場合は、正面から順当に行つたのでは、どうしても勝味のないものであつた。そこで何かの虚をねらつてその虚を衝いたものである。して見れば、双葉山の場合も、もうそろそろさういふ状況にあつてもいい頃だとおもへる。大勢がたかつて双葉山を調べるなら、何かの『虚』が出て来る筈だからである。この『虚』の問題も、今回の敗因の一つと考へ得るだらう。併し、私はそれよりも身体的の原因に重きを置かうとしてゐる。私は、双葉山の罹かつたアメーバ赤痢といふのを、双葉山自身よりも、ほかの双葉山批評
前へ
次へ
全10ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
斎藤 茂吉 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング