セ《ふと》り肉《じし》で、醜い顔をしてゐる。白いジヤケツを著て、おなじやうに背嚢《ルツクサツク》を負つてゐる。この男と女は、これから山越をして、この維也納森林帯の何処かに宿るつもりらしい。ふたりはいつしか谿の向うに見えなくなつた。
 僕は大いそぎで山を下りた。食店《レストラン》のあるところから以下には間道があるので、僕はそれを下りた。途中で、やはり間道を下りて来た巡査に追越された。午前にあれほど晴れてゐた空は曇つて、つひに細かい雨が降つて来た。電車に乗る。夕食。活動写真をみる。帰宅。体を拭く。寝。けふは元旦であつて、どうも僕はいいものを見た。そして、開運と何か関係があるやうな気がして、ねむりに落ちた。

       三

 埃及《エヂプト》カイロー博物館にある、王アメノフイス四世が児を抱いて接吻しようとしてゐる、細部が見えなくなつた石の彫刻も僕の注意を牽《ひ》いた。王も児も裸形のやうに見える。巌丈な椅子に腰かけてゐて、児は王の膝の上に乗りゐる。王は右の手で児の膝のところを抱き、左の手が児の後ろに廻つて頸《うなじ》のところを支へてゐる。そして接吻するところである。全体が単純でも、旅人の
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