l のなかに入り、真夜中に、恭賀新年の杯を高く挙げて、午前三時ごろ其処を出た。街はいつもよりも少し暖く、一めんに靄《もや》がかかつてゐた。中天の月はあたかも秋の月のやうであつた。ゆうべは豚の児を撫でてやつたから、今年は運が開けるだらう。こんなことを電車のなかで思つた。
電車は Grinzing《グリンチング》 の終点で止まつた。そこで電車を降りて僕はゆきずりの男に道をたづねた。
「今日《こんにち》は。Kobenzl《コベンツル》 へまゐるには、どう行つたらいいのですか」かう僕は、帽子をとつてその男にたづねた。
「今日は。ああさうか。君は日本人か。君はドクトルSを知つてゐるか。渠《かれ》は戦争まへに僕の友達ぢやつた」その男はいきなり手を僕の肩にかけてこんなことを云つた。
「君は、Kobenzl に何しに行くか。散歩か」
「けふは幸福《さいはひ》をさがしに行きます」
「ははは。けふは上天気ぢやから、こんなに大きな幸福がおつこつてゐるぢやらう。ただあそこの飯《めし》は少し高いよ」
「そらあそこに祠《ほこら》が見えるぢやらう。あそこから左の方の道を何処までも行きたまへ」
「ありがたう。さよな
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