て来る。そして無心で、いろいろの宝を、その小槌から打出しては、それを惜しげもなく鶴見に贈る。こういう考が鶴見の心の隅《すみ》の、どこかの曲《くま》に蟠《わだかま》りはじめた。憑《つ》きものに魅せられたようである。
 思想はさまざまに動く。それはそれで好いと思い返しても見る。芸術の複雑性はそこから生まれて来る。その作用は豊饒でなくてはならない。ここに芸術のコルヌコピアがある。打出の小槌がある。
 鶴見はそんな事にまでも思を馳《は》せて、二十余年の昔の夢から今日に及ぼして、それを心の中に繰り返して見て、『起信論』全体を納得しようと念じているのである。

 蘭軒伝の中で、鴎外が特に二章を費して考証しているものに楸《しゅう》がある。これも外来植物である。丹念に検討したあとで、実際的智識に富んでいる、その道の人としての牧野さんに頼んで、説明を求め、最後の解決がつけてある。極《ご》く約《つづ》めて言えば、楸はわが国のあずさ[#「あずさ」に傍点]かきささげ[#「きささげ」に傍点]かという疑いである。牧野さんはいう。普通あかめがしわ[#「あかめがしわ」に傍点]を梓《あずさ》に当てているが、昔わが国で弓
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