線を踰える時、そこに新に生ずる何物かがあるであろうか。鶴見に言わすれば、それが即ち第二の創造であるというのである。
ファウストは書斎の場で、『ヨハネ伝』のロゴスを翻訳しようと苦心する。語、意、力、業の四様に翻訳の順序を立てて考えて見る。鶴見はそこを『ファウスト考』の解釈によって読んで見て、面白いと思った。鶴見はこのファウストの思想を、おれの平生考えている思想にまるで無関係ではなさそうであると思って見たからである。
隣の坊ちゃんは日々の勤を無意識で行っている。それがあそび[#「あそび」に傍点]である。我々衆生が無心であり得るのはあそび[#「あそび」に傍点]の境界《きょうがい》においてのみである。我々は小供とは違って、いつでも無心ではあり得ない。否定の最後の線を踰える時に、やっと得られる無心である。これは勿論時間的にいうのではない。日々の行事の到るところに、この最後の線は張られているのである。
隣の坊ちゃんを竜宮《りゅうぐう》小僧に擬《なぞら》えて見る。ここでは坊ちゃんは海表《かいひょう》の世界から縁あって、鶴見に授けられたものとする。坊ちゃんは打出《うちで》の小槌《こづち》を持っ
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