、まるでお猿のようである。そこへ女中が風呂敷を持ったまま出て来る。
「よしや。どこへ往《ゆ》くの。」坊ちゃんはいつもの問を繰り返す。
よしやは黙っている。
「よしや。よしやってば。どこへ往くのだい。」
「よしやはこれからお使にまいります。坊ちゃんも一しょにお出でになりますか。」
よしやはこういって、ずんずん格子戸を開けて出て往こうとする。
「うん。一しょに往くよ。」坊ちゃんは遑《あわ》てて格子戸から降りて、下駄を穿《は》いて、よしやのあとを追うようにして、走って出掛ける。
これが日々の行事である。
鶴見は部屋に引き籠っていて、その時分はよく『起信論』を披《ひら》いて読んでいた。そして論の中でのむずかしい課題である、あの忽然《こつねん》念起をいつまでも考えつづける。そうすると、今しがた出て往った隣の坊ちゃんが、まざまざとまた心眼に映る。
坊ちゃんは格子戸《こうしど》につかまって昇り降りするが、その格子戸が因陀羅網《いんだらもう》に見えて来る。坊ちゃんは無心で戯《たわむ》れる。あそびの境涯で自在に振舞っている。よしやが使に遣《や》られる。よしやが誘う。衆生心《しゅじょうしん》の
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