に、やっと四、五尺に伸びた御柳がうえてある。瀟洒《しょうしゃ》としたたたずまいが物静かな気分をただよわせている。そのために狭い場所も自然にくつろいで見えるのである。鶴見は日々の出入に、その家の前を、目を掛けて通らぬことはなかった。
 それがどうであろう。今度またこの地に戻って来て見れば、そのあたりはすっかり様子が違っている。その家の主人は上田といった。それから二十五、六年は立つ。上田さんも存命であらばよほどの高齢と思われる。その後どこかへ引移ったものであろう。門札《もんさつ》は名前が変っていた。入口にあった御柳も姿を見せない。

 その当時、鶴見の仮寓の真向いは桶屋《おけや》だった。頗《すこぶ》る勤勉な桶職で、夜明けがたから槌《つち》の音をとんとん立てていた。その音に目を醒ますと、晴れた朝空に鳶《とんび》が翼をひろげて、大きく輪を描いて、笛を吹いている。
 鶴見が寓居のすぐ奥の隣家には海軍の尉官が住《すま》っていた。子供が二人ある。よしという若い女中が働いている。朝食の済むころには、かしらの四、五歳になる男の子が、玄関の格子戸《こうしど》に掴《つか》まって、這い上ったり下りたりするのが
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