避生活はそういう風にして始められた。神経を痛める細字の書は悉《ことごと》く取りかたづけられて、読書人の日々の課業として仏典が択《えら》ばれた。かれは少年時より仏教については関心を持っていた。その志を今果そうとしているのである。他《ひと》がもしヂレッタントだといって卑しめればかれは腹を立てただろうが、かれみずからはどうかすると、おれはヂレッタントだといって笑っていた。そういう時のかれには職業的文士というものが何物よりも目障《めざわり》になっていたのである。
 詩作にはすでに興味を失っていた。かれ自身としても詩人になろうと思いたったのが間違いのはじめで、詩だけを思うままに作っていればよかったのだと、老年になったかれはしきりに悔《くや》んでいる。その上に他と一しょになって物を言うのをひどく忌《い》むのである。詩社を結ぶなんぞということは、てんでかれの頭にない。一生涯孤立は避けられもせず、また避けようとも思わずに、別にしでかしたこともなく、ずるずると今日に及んだのである。これが鶴見の経歴といえば経歴のようなものである。

 それに、これは余談であるが、鶴見は十年ばかり前から聾《つんぼ》になって
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