いる。単に耳が遠いというだけではない。殆ど全く聞えないのである。
鶴見が聾になる直《す》ぐ前のことであった。かれは老妻の曾乃《その》に向って、「お前はどうかしたのかね。声がすっかり変ってぼやけてしまっている。もっとはっきり物をいってもよさそうなものだ」といって、かえって訝《いぶ》かったものであるが、或る日の朝いつものとおり起きて、茶の間の席に就いていると、家人のする朝の挨拶がさっぱり聞えて来ない。鶴見はこのときはじめて自分の聴覚不能に気が附いたのである。
かれは久しく悩まされている体の変調子などから、いずれはどこかに現証を見せられるものと推量していた。それが聴覚にあらわれて来たのである。ふだんからそう考えていたので、その朝争われぬ証拠を見せつけられても、惶《あわ》てもせず驚きもしなかった。びっくりしたのはむしろ曾乃刀自の方である。いろいろ他にも相談したすえに、結局市の聾唖《ろうあ》学校へ行って、聴音器などのことをよく聞きただして来ることに極《き》まった。鶴見は例によって学校なんぞへ行くのをおっくうがって、あまり気がすすまない。しかしそうばかりもいっていられぬので、曾乃刀自に跟《つ》
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