伝って、それなりに文壇を遠退《とおの》いてしまった。傍目《はため》にはそうまでしなくてもよさそうに思われたに違いない。反抗が嫌《いや》なら嫌で、もっと落《お》ち著《つ》いていればよかったろうと思われたに違いない。暴風も一過すれば必ず収まるものである。かれはそれを知らぬでもなかったが、そういう心構《こころがまえ》をするだけの多少の気力も、体力と共に失われていて、かれにはその時頼みにする何物もなかったからである。
 実を言えば、鶴見は結婚後重患にかかり、その打撃から十分に癒《いや》されていなかったのである。そればかりか、病余の衰弱はかれの神経を過度に昂《たか》ぶらせた。しばしば迷眩《めいげん》を感ずるようになったのは、それからのことである。そういう状態が一進一退して、長いことかれを苦しめ抜いた。その間《かん》にあってかれの生活も思想もおのずから変って来た。ひとしきり憂鬱になって、気まぐれにも自殺についての考察をめぐらして見たり、またその頃はやった郊外生活を実行して、煩《うる》さい都会を避けて田園を楽しむような気振《けぶり》を見せたりして、そんなことを少しずつ書いたりしてもいた。
 鶴見の逃
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