《はい》って来た。その理由が忘れられた後になって、あの異常な生態が忌《い》まれだした。葉は夏になると、すっかり枯れてしまう。それが秋の彼岸ごろになって、地面からいきなりに花茎だけを抽《ぬき》んでる。咲く花もまた狂ったように見える。忌まれたのはそういうわけからであったらしい。それから墓場の手向草《たむけぐさ》のようになって、いよいよ嫌われることになった。石蒜の歴史はざっとそういうところに帰著する。
要するに石蒜は外来種であって、人はその効用に無知になっている。そしてあのめざましい美花がついぞ観賞もせられずに、長いあいだ、路傍にうち棄てられてあった。やっとこの頃になって、いけ花の方で装飾的に使われてはいるが、まだまだ遠慮がちに取り扱われている。
石蒜のこの国で受けた運命は随分はかないものである。鶴見はそんなことを考えながら、庭の草※[#「てへん+劣」、第3水準1−84−77]《くさむし》りをするついでに、石蒜の生える場所を綺麗に掃除をしておいた。濡縁《ぬれえん》の横の戸袋《とぶくろ》の前に南天の株が植えてある。その南天の根方《ねかた》である。おもうにはじめ南天を移しうえたとき、その根に
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