しく恐れていたのである。しかしそれにもかかわらず、なぜか夢を好んでいたように見える。
鴎外はあの明徹な叙事の中にしばしば夢を織り込んだ。『青年』にも『大塩平八郎』にも夢の描写がある。心理的の現象として科学的に取扱ってはあるが、作者が一たびこの夢幻境に入るや否や、たちまちに平生《へいぜい》の抑制から解放されて、ひたすらに筆端の自在を楽しんでいるかのようにも見える。鴎外自身としても絶えず夢を見ていたのだろう。科学的な生理的な夢といっても好い。要するに白日夢である。幻想である。
いくら鴎外に私《わたくし》がなかったといっても、濃《こま》やかな夢を持たずに、あれだけの秀抜な芸術は創造されなかったであろう。
鴎外の文章のうちには、不思議とも思われる一種の香気が漂《ただよ》っている。ほのかである。始めて接したときと数十年後とでその感触の程度に変りはない。いつも新しくいつもほのかである。言辞の森の下道《したみち》を辿《たど》って、その香気を嗅ぎ分けるときに、人々は直ちに魅了される。
鶴見は久しく鴎外の文章に親しんで来ながらその秘密を探り得なかった。そしてただ訝《いぶか》っていた。鴎外の文と
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