はいかなる場合にも科学的態度を崩さずにいた。あるいはこれを装って芸術に臨んでいたといっても好い。そして冒《おか》すべからざる冷静沈著のうちに、やがてその一生を終った。一毫《いちごう》の差をもゆるがせにしなかった、あの細密な検討の心構えについては時に応じてこれを説き、自己の製作にこれを施して、遂に倦《う》むことを知らなかった。そしてこの無常の世の中で科学だけが大きい未来を有している。発展する望みがある。そういうことを、鴎外は『妄想』の結末で、鴎荘の白髪の翁に語らせている。
 鶴見はそこを読み終って、その一貫した主張と倦むことを知らざる精神とに感動した。しかし読後の感はそれだけではなかった。
 鴎外の倦まざる精神は専ら科学の信頼に向けられている。それは一先ず肯定されよう。しかして鴎外は人間行為の無常なるためしとして芸術を蔑《ないがしろ》にしないまでも、その未来性を疑っていたのであろうか。それでは余りに矛盾が大き過ぎる。鶴見の読後感には何かそういった思想の乖離《かいり》があった。よそよそしさがあった。それを長い間どうすることも出来ないでいた。鴎外は他を言っているのではなかろうか。自己を韜晦《
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