ろ、鶴見は吹田さんほど感じてはいなかったのである。人の文章を読むのはむずかしい。よく読んだつもりでいても、まだまだ至らぬところがあるものである。
 鶴見はまた思った。その静寂の奥深さは分っているようで、さて心理の上で解説して見ようとしても、徒《いたずら》にその複雑を増益《ぞうえき》するのみで、かえって切実な言葉が著けられない。ただ一つ言って置きたいのは、ここではその静寂が死相を被《おお》った静寂ではないということである。殉死をすぐ前に置いて、長十郎と共に午睡しているのでもない。その静寂はいつでも目を覚している。瞬《またた》き一つしないのである。それが物凄く見られないで何であろう。そして更に永遠なるものを呼吸しているのである。この時の静寂の深刻さはそこにある。戦《おのの》く心を抑え切って、じっとして、その淵《ふち》の底を窺《うかが》うものの目には、すべての情意、すべての事象を一色に籠《こ》めた無限の沈黙世界が眼前に展開して、雲間の竜のように蠢《うごめ》いているのが見えよう。

 鴎外は事象そのものの探求とその観照に驚くべき能力を発揮した。これは吹田さんの解説にもある通りのことである。鴎外
前へ 次へ
全232ページ中77ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
蒲原 有明 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング