の実相観入の力を称《たた》えている。
その通りである。鶴見は一も二もなくそう思った。長十郎はその日一家四人と別れの杯《さかずき》を酌《く》み交《かわ》し、母のすすめに任せて、もとより酒好きであった長十郎は更に杯を重ね、快く酔って、微笑を含んだまま午睡《ごすい》をした。家の内は物音一つ聞えずにひっそりしている。窓の吊葱《つりしのぶ》に下げた風鈴《ふうりん》が折々|微《かす》かに鳴るだけである。かような奥深い静寂が前に挙げたような状態で一疋のやんまに具体化されているのである。この場合それはむしろ象徴といった方が好いかも知れない。
吹田さんは鴎外の文をよく読んでよく理解された。吹田さんはよほどこの蜻蛉に強く打たれたものと見えて、その感動をただ物凄いとかぞっとしたとかいう言葉で言い現わしているが、それも鴎外をよく読んだものの純粋|無垢《むく》なる感歎であろう。鶴見はそう思って見て、かえって自分がこの微妙な描写に行き当った時、最初果してどういう衝撃を受けたか、そこのところを顧みなくてはならなくなった。そして彼は吹田さんに対しても鴎外に対しても大《おおい》に恥じねばならないと思った。正直のとこ
前へ
次へ
全232ページ中76ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
蒲原 有明 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング