、鶴見はここに読み到って、また新に卯の花が眼のあたりに咲き返って来たような心地がした。
 これは極めて単純な例示に過ぎないが、鴎外の観照的能力がその具現を見せるときに、適確な記述の文章を背地に置いて奈何《いか》に肯綮《こうけい》に当り、手に入ったものであるかは、原文が簡単であるだけになおよく分る。
 鶴見が今挙げた卯の花は阿部家滅亡の雰囲気のなかにくっきりと花を咲かせていたが、それとは別に内藤長十郎|殉死《じゅんし》の事がその前段にある。そこでは、丈《たけ》の高い石の頂《いただき》を掘り窪《くぼ》めた手水鉢《ちょうずばち》に捲物《まきもの》の柄杓《ひしゃく》が伏せてある。その柄杓に、やんまが一|疋《ぴき》止まって、羽を山形に垂れている。吹田順助《すいだじゅんすけ》さんはこの蜻蛉《とんぼ》の描写を特に推奨して、こういった。――鴎外は取り乱さざるを沈著な態度を以て事象の実相を観照することを忘れていない。年代記的なもの、史伝的なものを書く場合でも、そういう観照力が時々片鱗を示して、無味なるべき叙述に塩を与えてくれる。『阿部一族』における蜻蛉の描写なども凄いほどの効果を示しているといって、鴎外
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