。鶴見のためには、この書がたまさかに変若水《おちみず》の役目を果すことになったのである。
 しかし若返るといっても、ただそれだけでは徒言《いたずらごと》である。はかない夢に過ぎない。鶴見は更に省察を重ねねばならなかった。そしてこう思った。これもまた貌《かたち》を変えた執著であろうと。彼は執著をまた執著するのである。おれには最早《もはや》過去があるばかりだ。背後が頻《しき》りに顧みられる。背後には何があるのであろう。おれは絶え絶えに声に立つ痛恨をそこに認めるばかりである。目も眩《くら》むような光明劇は前方で演ぜられる。おれには前途はない。将来に希望を繋ぐには朽ちかけて来た命の綱が今にも切れそうである。おれのからだのどこを捜して見ても何ほどの物も残っているはずがない。若返るためには贖物《あがないもの》が入《い》る。贖いもせずにいては所詮《しょせん》助かる見込はあるまい。天寿国は夢にも見られないのである。
 鶴見はここで彼をたしなめる笞《むち》の音をはっきり聞いた。なるほどそうである。贖物を供《そな》えずにいて、それなりに若返るすべはない。鶴見は思い詰めた一心から、その業因《ごういん》を贖物
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