慮なくたっぷり吸える。いくら吸っても尽きることはない。乏しい煙草をがつがつ吸うよりも遥《はるか》に増しだと思っているのである。
 彼も若い頃は一廉《ひとかど》の愛煙家であったに違いない。少し喫《の》み過ぎたと気が附いて、止めようとして、初手《しょて》は誰でもする代用品を使ってごまかした。それではいけない。たとえ代用品であろうが、その方へ手を出すのがいけないのである。煙草がなかなか止められないのはこの手を出すという習慣が止められないからである。代用品であっても、見ずにいられるように手を出さずに済ましていられるようになることである。こうやってみても絶対に禁煙するまでになるにはおよそ一年かかった。
 薄志弱行になりがちな彼にもなお我慢と忍耐とが、痩せた体のどこやらにその力を潜《ひそ》めていたのであろう。鶴見はこれも父から受けた沈黙の実践によって養われて来たものと反省してありがたく思っている。

 この朝の久しぶりの好天気、それが鶴見には何よりもうれしかった。物を書くにも陽気の変化が直ちに影響する。年を取るにつれて、それがますます著《いちじ》るしくなって来た。何よりも望ましいのは好天気である。
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